歩 み

足立区関原に住む吉元さんが、早稲田にあるトーコロ情報処理センターへ6期生として通っていました。


彼は意志の強い人で、関原の自宅から電動車いすに乗り、西新井橋を渡り一時間余をかけて町屋の都電の停留場まで行き、更にそこから早稲田まで通い続けました。このようにしてプログラマーとしての実力を育んでいたのです。


その彼が、重度の人でも出来るプログラマーの勉強を「地元の足立区でできたなら、多くの自立をめざす障がい者にも有益である」と考えて、東京コロニーのトーコロ情報処理センターの勝又所長(当時)に相談をし、働きかけたのです。


吉元さんの意を受けて、勝又所長(前東京コロニー理事長)が足立区役所の障がい福祉課を訪ねました。


そこから、足立区の身体障がい者に対する「コンピューター・プログラマー養成事業」が、父母の会からトーコロ情報処理センターに委託される形で、昭和63年にスタートしました。


当初から、吉本さん自身もこの事業に関わり、将来、仲間とともに自立することを楽しみにしていました。


そのような彼も、病魔には勝てず、足立ソフトウェアシステムを知ることなく志なかばで若くして逝ってしまいました。


このように、一人の青年の「意志」から足立区大谷田就労支援センターの前身である足立ソフトウェアシステムが誕生しました。

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