法人設立10周年 座談会

法人設立10周年 座談会1

(後列)渡邉美千代 吉本惠美子 鈴島妙子 岸本美惠子 高島節郎 渡邊正人

(前列)横内康行 小谷節子 中里俊夫 永倉春男 菊池尚一

座談会出席者


氏名現在の役職等設立時の役職等
中里 俊夫 中央町会自治会連合会会長・理事・評議員 青井兵和町会会長
菊池 尚一 岡野電線専務取締役 NTT足立支店支店長
小谷 節子 社団法人京都ボランテイア協会事務局長 足立区障害福祉課課長
永倉 春男 渋谷神宮前福祉作業所所長 足立あかしあ園初代園長
高島 節郎 あいのわ福祉会後援会 相談役 足立肢体不自由者福祉会後援会準備委員長
岸本 美惠子 あいのわ福祉会理事長 足立肢体不自由者福祉会副理事長
鈴島 妙子 あいのわ福祉会副理事長 足立区肢体不自由児者父母の会会長
吉本 惠美子 足立あかしあ園保護者会会長 評議員 足立あかしあ園保護者会 初代会長
横内 康行 足立あかしあ園園長 理事 東京コロニー法人本部部長
渡邊 正人 竹の塚あかしあの杜施設長 理事 都立城北養護学校教員

法人設立10周年 座談会

横内 私は十周年記念事業実行委員会委員長の足立あかしあ園園長の横内です。
一口に10年と言いましても、法人設立前は区立民営の施設運営から法人の立ち上げまで、色々とご尽力を頂いたと聞いております。 その辺を含めまして、苦労 話や数々の四方山話をお聞かせ頂ければと思っています。 12月6日に記念式典を開催いたしますが、その折にご来場された皆様に、この座談会の内容を掲載し た記念誌を配布したいと考えております。
皆様に係わって頂いた当初は、足立肢体不自由者福祉会と言う法人名称でしたが、12年度から知的障害者の施設も運営することになりまして、グローバルな名前が良いのではと言うことで14年4月に「あいのわ福祉会」と改称しました。
「あい」も「わ」も様々な意味を含んだ漢字がありますので、それらをイメージしていただければ、色々な「わ」が出来るのではないかと言うことで、「あいのわ福祉会」に決めさせて頂きました。
これに伴いまして、新しいロゴを作成することとなり、利用者、保護者、職員、理事、評議員の皆様に加わって頂き、最終的に2点に絞られた中より投票を行っ た結果、新しいロゴを決定いたしました。 (新しいロゴを、紹介する。 ) 座談会の時間としましては、7時30分までの2時間を予定しております。
岸本 本日は大変暑い中、また遠路からもお越し頂き、お集まり頂きうれしく思っております。 皆様には本当に産みの苦しみを担って頂きまして、また、今日までお力添えを頂き感謝いたしております。
私が、本日の進行役と言うことですが、当時を思い起こして頂いて、自由にお話をして頂ければ良ろしいかと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。 始めます前に、自己紹介をお願いいたします。
渡邊
(美)
今日は、事務局担当と言うことで、出席しております。
当時は、足立区肢体不自由児者父母の会の副会長を引き受けたばかりで頑張っておりました。 現在は顧問をしております。
吉本 足立あかしあ園の保護者会長をしています吉本です。 10年の間、7年間会長をやらせて頂いています。 法人に関しては、検討委員会、推進委員会、準備委員会とずっと携わって来ました。
小谷 皆さんお久しぶりでございます。 昨年、突如郷里の京都にもどり、ひょんなことから、現在社団法人京都ボランティア協会の事務局長をしています。 ボランティア関係では長い歴史を持つ民間団体です。
中里 青井兵和町会会長を、20年間務めております。 その間の半分となる10年間、法人と係わりを持って来ました。 また、中央町連の会長もしております。 最近地域の役割・地域が大切と言われ喜んでいるところです。
菊池 平成2年から5年までNTT足立支店にいまして、現田中後援会会長には、足立支店でも大変お世話になりました。 NTTは、官庁ではなくまた一般の企業でも ないので後援会の役割を果たしやすいのではないかということで、後援会の設立の時にご一緒させて頂きました。 今でも、毎月1回竹の塚の温水プールに集ま り、皆様と係わり合いを持っておりますのでよろしくお願いいたします。
高島

法人設立10周年 座談会2 相談役となっているが、最初の立ち上げる時に法人の施設を作ると言う話があり、それではやってみようと言うことから出発しました。 その後あまり協力出来なくて申し訳ないです。

永倉 ご無沙汰しております。 今は原宿の方で若い人たちと一緒に日夜頑張って居ります。
渡邊 法人にお世話になった時は40代でしたが、今は50代になり徐々に脂肪がつきはじめ、お腹だけでなく、頭の回転への影響も出始めております。 今日ご参加の皆様には、法人の立ち上げをはじめ、多くのご協力を頂き誠に有難うございました。
鈴島

設立当時は、岸本さんから父母の会会長を引き受け、まだ民間の3施設が残っている状況でした。 その運営の責任とその施設もいずれ法人化へと言う思いから法人運営にも参加させて頂きました。 いろいろな出来事がありましたが、ついこの間のことの様に思えます。

岸本 自己紹介も一通り終わりましたので、法人十周年記念座談会を始めさせて頂きます。 座談会の趣旨は、配布の資料に書かせて頂きました。 当時、全国特殊教育推 進連盟(現全国特別支援教育推進連盟)の理事長をされておりました(故)下田巧氏とは私が父母の会会長の時に上部団体の会合でめぐり会いまして、「足立区 内に住んでいて全国的な仕事をしているが、地域に住んでいる障害のある人達のことも、気になっているので役に立ちたいと思っている。 」と言うお話を伺いま して、お力添えをお願いさせて頂きました。 お忙しいなか父母の会の総会、バザー等風雨の中も欠かさず毎年出席して頂き励まして頂きました。 綾瀬あかしあ園 の開設を見て頂けず、平成9年3月にお亡くなりになりましたが初代理事長として多大なお力添えを頂きました。 本当に大切な人を失ってしまいました。
平成2年5月に父母の会定例総会で、法人化の検討委員会の発足を決定し、次の年の総会では、推進委員会に切り替え、平成4年5月の総会で準備委員会の発足 に向けて会員の皆様に決議を頂きました。 父母の会の役員活動は、重度の子供を抱えた多くの母親でありました。 父親でもあり、その良きアドバイザーであり、 将来を見据えての客観的な意見を熱心に私たちに届けてくれた高島節郎さんが、父親の会の会員の一人として、法人を作りたいと言う私たちの願いを後押しして 下さいました。
父親の会のこととか、17回も開いた準備委員会のこととか、会員への説明会、アンケート等で会員の理解に大変力を注いで頂いた高島さんより、話を切り出して頂けますでしょうか。
高島 そんな立派なものではないのですよ。 何時も上さんから子供のことについて怒られるわけですよ。 そこで、親父も何とかしてやらなければいけないのではと言う ことでした。 そう言う意思を持った親父さんたちを集めて、何とか母親の助けをしようということになり、そのためには勉強をしなければならない。 私たちは全 く福祉の事は分からなかった。 そこで、沢山の本を読み勉強したが勉強だけではだめだと言うことで、何か行動を起こそうと言うことになり、ひょんなことから お母さん方が、法人の事について検討していると聞き、色んな話を聞くと大変な状況になっている。
また足立区から区立民営の施設運営に多額な助成金を預かっている。 子供たちがどんどん養護学校を卒業して増えたら職員の採用もどうしたら良いか分からない。 とても片手間ではできないよと言う話で、僕らで提案してはどうかと言うことになった。
そのため法人とは何か、それが分からなければ動けないので、文京区父母の会の川野さんに聞いて正月明けに父母の会に提案したら、役員の方たちが快く了承してくれたので、法人設立の検討委員会を作った。
身体障害者福祉法も分からなかったので、皆で学習し合い、施設見学で色んなところに行き説明を受け、勉強をして少しずつ理解していきました。
永倉 ご苦労様でした。 色々と有難うございました。
岸本 高島さんが言うように、足立区から助成金を受けて施設運営をして来ました。
青井あかしあの家、梅島あかしあの家、楓作業所、プログラマー養成事業足立ソフトウエアシステム綾瀬、梅島を入れて、父母の会会長名義で多額の助成金を受 けていました。 足立区としても、こんなに大きなお金を任意の団体に助成し施設がどんどん増えてゆくので、法人化については区も考えられていたのではないか と思いますが…。
私が、とても嬉しかったのは、末端までこれらのことを知らせるための会報の発行ができたことです。 毎月準備委員会ニュースを、高島さんが率先して発行してくれたことが、今日の法人ニュースに続いているのですよね。 鈴島さん今何号になっていますか。
鈴島 7月で107号となります。
岸本 最近内容を充実しようと言うことで、隔月の発行となりましたが。 あの基礎が、今日まで続いており広がりを見せてくれて嬉しく思っております。 本当に有難うございました。
そう言うなかで、私たちは法人を作りたいと思っておりましたが、足立区はどうお考えになっていたのかと大変気になるところですが、都や区において福祉畑一 筋でご活躍され、色々と私たちに助言を頂いた小谷さんですが、S議員さんからは何かの時に、福祉の神様的な存在の小谷さんを足立区から放してはダメだよと 言われましたが、今は、本当に京都に行かれ残念です。 平成4年4月に準備委員会を立ち上げようとしていた時に、丁度障がい福祉課の課長として、小谷さんが着 任されました。 その時の印象とか、法人設立についての足立区の決断についてはどうだったのでしょうか。
小谷

法人設立10周年 座談会3前の資料を調べましたら、養護学校卒業生数の推移で、丁度平成15年度までの障害者施設需要見込み数をまとめたものや、法人設立にかかわる厚生委員会に提供した資料、助成内容を悩みつつ福祉部や、企画部の担当者と協議、検討した資料が出てきて、感無量でした。

法人設立支援は前課長からの引継ぎで、私が就任した時はすでに障がい福祉課は準備しておりました。
一方生活実習所の現場で重い障害者の人たちと過していると処遇職員は勿論、事務職員も5年間の通所期限後の行く先を真剣に案じていました。 お母さん達の 思いも説得力があったと思います。 当時の職員も親と同じ思いで安心して通所し続ける施設が必要と考えておりました。 結局お金で行き詰まると、宝くじかって 来いと、実際買いにも行かされました。 行く先をなんとかしなければとの思いを抱くなかで、就任早々法人化の話は、大変重く責任を感じました。 しかし、長年 の父母の会のひた向きな活動に対し、区はほっておけないとの思いで、すでに財政的支援も膨張し、今後更に膨らむことが予測されることが確実でしたから、い ろいろシュミレーションを経て、法人設立支援は有効との最終確認を得て、就任した4月末、あかしあ園の土地について、話しが出てきました。
当時、福祉には厳しい姿勢の区でしたが、父母の会の法人支援には区長はじめ、森福祉部長、区議会はよく理解して頂き、熱い期待もありました。 これは皆さん、 父母の会の長い活動の積み上げがあったからこそと思えましたし、法人化に至るなかでの岸本会長はじめ、みなさんの苦労は大変なもので、様々な出来事を思い 返し、これらをよくクリアしてこられたと、仰ぎ見るものがあります。
永倉さんのエネルギーもすごかったです。 汗をかきかき夜遅く役所に駆け込んでこられ、細かな資料を積み上げられ、この労作に驚くばかりでした。 このような皆さんが寄り集まって法人化ができた。 私はこのような意義有る仕事にめぐり合えて、大変幸運でした。

岸本 私より小柄なのに物凄くエネルギィシュに動かれるので、付いてゆくのに一生懸命でした。 そして何時も見習わなくてはと思っておりました。 当時の古性区長さんは、施設建設中にご公務の間を縫って2回も来て頂き、本当に目立たないところで見守ってくれていると感じました。
10年あまり区立民営型の施設運営をしていて、区との信頼関係の上にこの法人が出来たのだと心から感謝しております。 いま、永倉園長さんの話が出ましたけ ど、永倉園長さんは、平成4年5月20日の父母の会総会で、準備顧問として承認されお願いした訳です。 養護学校の卒業生を持つ親の願いの実現に向けて、献 身的に力を注いで頂いたことと、膨大な申請書類の作成で、休日、夜も無く力を注いで頂きました。 この様なことが無ければ、スタートが出来なかったと心から 思っております。 法人施設といいましても、それぞれ既存施設からの職員を集め作り上げてゆく苦労があったと思います。 これらの苦労話をお聞かせ下さい。
中里 永倉さんは、本当にすごかった。 良く何でも知っていた。 この人の力は大きい。 足立区だけでなく東京都にもつながっていた。
永倉

法人設立10周年 座談会4 平成2年か3年の夏休みに岸本さんからお話がありまして、北千住の喫茶店で切々とお母さん方にうったえられました。 私も何らかのお手伝いをしなくてはと思いました。

青井の所長をしながら準備をして下さいと言われましたが、都から頼まれ東京都文化連盟を立ち上げていたものですから、手放せない状況でしたので、都の仕事 と青井と法人設立の仕事の3つの仕事をしておりました。 そのために都庁で職員が退勤したあとで資料の印刷を7時過ぎまでして、区で待っておられる小谷課 長・渋谷係長に連絡して7時ごろまで待ってもらい9時10時過ぎまで相談にのってもらっておりました。
法人設立には、土地が無くてはならないの で、最初は青井あかしあの家でと言うことになりました。 当時は、全国的にも重度肢体不自由者の通所授産は認可の前例が無いと言うことで、知的障害者施設 で行きましょうと勉強会に提案したこともありました。 法人設立の勉強会は17・8回位行ったと思います。 はじめの5・6回は何時も同じ事を繰り返して行っ ていたようでした。 そこで高島さんが前回までの内容を、後援会ニュースとして配布して下さいましてから会議が進むようになりました。
この経過の 中で、知的障害者施設を1人当り15.8㎡の30人定員で作ろうとなったのですが、小谷課長さんがもっと広い肢体不自由施設ではと言われました。 会員の 皆さんからは何故30人かと非難されました。 一番問題となったのは、30人ではどうゆう人を入れるか、建設のお金をどうするかでした。 40人にするとどの 位のお金が必要になるかと言うことで、試算表を作り後援会、バザーでいくら集めると言う内容のものを作りました。 建設資金について父母の会の会員が、一期 1万円を出し3年間積めばと言う話が出ました。 それでは3年経てばうちの子が入所できるかと言う事になり、40人しか入れないので、困ったことになりまし た。 説明不足で申し訳ないと思いました。
この施設を基点に、いくつかのブランチの施設を作ったり、ショートステイ事業のプランを説明しました。 このときは高島さんはじめ多くの保護者から、この法人はショートステイ事業を中心にしてやってほしいとの願いがあったので、その説明をしました。 しかし、 うちの子供が入れない施設にお金を出すのはと言う声もありました。 そして、東京都に施設建設の補助金申請をするのにどうしても積算見積が必要で,設計屋さ んに作ってもらいましたが、城北の説明会の時、誰がその計画を決めたのか、皆の了解を得ていないのではないかと強い意見を頂きました。 東京都へ出すために 設計屋さんにご指導を頂いた形でやったと説明し、怒られたことを思い出します。 (出席者の爆笑を誘う。 )
私は教育のことは知っていたが、福祉の ことは全く知らなかったので、法律を見ながら書類を作っていたので始めは間違いが多かったですね。 私が作った最初の書類の1/3は、福祉局が一緒に作って くれたものです。 私は人に恵まれたと思います。 福祉局の人、後押しをしてくれた足立区の課長さん・係長さんが、本当に良くやってくれました。 この様に補助 金申請の手続きにいったが、一番重要な理事の人選をどうするかとなったが、岸本さんがこまめに動いてくれ立派な方を依頼することが出来ました。 後援会につ いては、NTTの菊池さんにお願いする事となり、父母の会のバザーにライオンズさんとNTTさんに何時もご協力を頂いていたと言うことで、ライオンズの佐 久間さんを監事に、当時のNTT足立支店の支店長であった菊池さんに後援会の会長をお願いしました。 また、理事には、地元の人と言うことで中里さん、平田 さんにお願いしました。 中里さんには青井あかしあの家の時から、町会の人にお声がけをして頂きました。
資金の調達では、医療事業団にお金を借り るのも大変でした。 また、施設建設工事になると地元説明会が必要となり、地元説明会のチラシを、障がい福祉課の職員が総出で、近隣一軒一軒配ってくれまし た。 説明会では、各町会長さんが来てくれたので、区と設計業者と共に説明をしました。 当初は建設に反対のお宅もありましたが、岸本さん小谷課長さんが三顧 の礼を尽くし、何度も伺い説明をさせて頂きました。

岸本 森部長さん小谷さんと私の三人で初めて伺った時、丁度庭の草を刈っておられましたがなかなか顔を上げてくれなかったのですが、奥さんもおられてお話をさせて頂きましたら、少し理解を示して下さいました。
昭和62年1月の青井あかしあの家の開所式で、中里会長さんが「地域に宝ものが出来た。 」と挨拶してくれたことは私の支えになっていて、今でも忘れるこ とが出来ませんが、青井あかしあの家の行事ごとに、中里さん、柿沼さんが参加して下さり、ご支援をして下さいました。 30位の町会長さんの所へ、昼間一軒 一軒に、挨拶に伺ったのですが1/3位はお留守で、夜暗いところ一人で伺った時は少し心細かったのを思い出します。
中里 お母さんたちは熱意でやられたが、町会・地域はそんな事はなかった。 地元説明会は、青井住区センターであったが初めはひどかった。 恥ずかしいくらいで、 「そう言う身体障害者の子供はどうして出来たのか。 」との質問がされた。 関係の無いことを何で質問する必要があるのかと感じた。 反対の一つの表れかとも 思った。
岸本 建設工事現場に大きなトラックが出入りするので、通学路でもあり危険であるとの意見もありました。 青井あかしあの家の日中の活動をビデオに撮り、それを見て頂き一つ一つ説明し、皆様に理解して頂きました。
中里 第1回の地域懇談会の時、初代田中事務長に頼まれ、7~8人の町会長に電話して出て貰った。 足立あかしあ園が出来ると地域が変わると反対する会長もいた。 でも、今は30人位の会長が施設に来てあかしあ園を応援してくれるようになって嬉しく思う。
永倉 青井あかしあの家がやっていけたのは、中里さんや裏の団地の人たちが障害者の活動を良く見てくれて、どういう活動をしているのかを理解してくれていたのが、足立あかしあ園建設の理解に凄く大きかったと思う。
工事説明会では、工事をしたら家がどうなるかとの質問がでて、工事前の建物の状況写真として、近隣の家の写真を細かく撮りました。 結果的には質問した人 は、工事途中に引越しをしてしまいました。 今まで私が知る限りでは施設作りの中では施設反対の声は軽い方と思います。 当園を設計した会社が関わったケース で同じ認可を受けた法人では、1年間工事が出来ないところもあったそうです。 予定通りうちが出来たのは、地域で中里さん柿沼さんや平田さんが理事・評議員 となってくれまして、地域に働きかけて下さったことと、建設を理解し協力してくれた地域の皆さんのお陰ですが、その陰には、小谷課長さんが電話したり色々 と中に入って動いてくれたこともありました。
中里 僕らが思っていたものより良いものが出来た。 立派でお城みたいなものとなった。
岸本 保護者の希望が、メルヘンチックなものであり、施設らしくないものをと言う要望が、準備委員会の中で出てきたので設計業者に頼みました。 今はちょっとくすんできてしまいましたが。
私たちは、一貫して地域に開かれた施設を目指していました。 地域町会とか、菊池さんが居られたNTTの大きなバックアップは、大きな財産であると思いま す。 菊池さんと出会ったのは、思い起こすとNTTが平成3年にルミネで星野富弘美術展を開催し、その収益金を父母の会に寄付してくださると言うことで初め てお会いしました。 その後、父母の会の活動を青年フォーラムでお話下さいということがあり、その中で人的な関わりの中での協力はありませんかと言うお話を 受け、だんだんと保護者が高齢化してプールに入る機会が少なくなったと話しましたら、即とり入れて下さいました。 また、後援会のポスターをカラーで作って 下さりあちこちに貼って頂いたり、足立あかしあ園の開所式には、駐車場の案内とか地図作りまでも引き受けて下さったことを思い出します。 本当に心から嬉し く思って居りますけれど、その辺のことを菊池さんにお話頂ければと思います。
菊池 私は今、光ファイバーケーブルを作る会社に勤めていますが、生ゴミを処理する機械をNTTが開発しまして、7月から一緒に販売し立ち上げるところですが、法人設立とか事業化をすることは、大変なことであるとつくづく感じています。
私自身は、後援会を支援すると言うことで一緒に活動させて頂きましたが、私が足立に来た時に、NTTも大きく組織が変わりまして、23区の区ごとに支店を 作ることになり足立区にあった5つの電話局を足立支店として統合し、足立区の中の支店として地域一体となって活動が出来るようになりました。 そこで、何が 出来るかと言うことで、私が幸せであったのはその当時いた社員が、若い連中はヤングボート、女性社員はレデイスフォーラム、中年男性はミドルウエーヴとい うプロジェクトチームを作り、バザーをやったり、お祭りに参加したり、バトミントン大会を開いたりして色々と地域の方々と一緒に過ごすことができるよう、 社員のアイデアでいろいろチャレンジしていました。
皆様方とのおつき合いのきっかけは、星野富弘さんの展覧会を北千住でやり、社会福祉協議会を 通じて岸本さんにお会いして、後援会を作るのでいかがでしょうかと言う話になり、喜んでやらせてもらいました。 後援会会長をやるからには、会員を増やさな くてはならないと言うことで、色々努力したのですが、なかなか皆さんの期待には沿えなかったと反省しています。 また、この活動の中で、私たちで何か出来る ことは無いかと言うことで、竹の塚のプールで皆様と一緒に泳ぐこととなり、「カッパの会」と名付けて、今年の7月で12年目となります。 毎月1回集まり、 130回を越えましたが、メンバーは皆足立から離れ、NTTを退職した者もいますが、現在20名位で、毎回10名位は集まり良く続いていると思っておりま す。
岸本 法人設立10周年 座談会5 本当に良く12年も続けて頂いて居ります。 足立支店も無くなり足立区は上野支社の管轄になり、今は足立区に居られる人は1~2人で皆様遠くから駆けつけて下さっています。
菊池 義理人情の中で参加した人もいましたが、10年もやっていると今のメンバーは自分がやりたいからやっている人ばかりです。 今日も午前中ありましたが、或る メンバーは一生やりたいとか、死ぬまでやりたいと言っておりました。 むしろ父母の会の人たちから力を与えられていると思います。 私たちメンバーは、逆にリ フレシュさせられ、元気づけられて居るのではないかと思います。 みんな喜び活き活きとしています。 皆さん方が良いと言うことであれば、今後も続けていきた いということがメンバーの思いです。
岸本 会員が冬は体調を崩したりして、月によっては2~3人のこともありますが10人位来て下さいまして、代表の八木さんにこんなに少なくて遠くから来て下さる 人に申し訳ないと言いますと、1人でも2人でも良い、此処に来て仲間と共に皆にあって笑顔を見せてくれるだけで充分満足なので、そんなことを気にしないで ほしいといわれるので、それでも良いのかなと思っております。
菊池 皆さんそう言いますね。
岸本 8月にNTT東日本の取材があると聞いておりますが。
菊池 NTTもなかなか経営が厳しく地域の活動をする余裕もなくなってきていますが、一度NTT東京で表彰状・感謝状を頂いたことがあります。 今度はNTT本社 の取材ということで、それを意識してやっている訳ではありませんが、やっぱりNTTの社員がこういうことをやっているよと、全国的に知らせて頂けるのは良 いと思うし、こういう輪が広がれば良いと思います。 粛々とやって行けたらと思っています。 それではダメだもっと積極的にやらなければダメだと言う人もいま すが、メンバーの皆さんまだ仕事を持っておりますので、その中でやって行けたら良いと思っています。
岸本 後援会会長は、第一代が菊池さん、第二代が影山さんで三代目からは現在の田中会長さんになり藤田さん、藤巻さんが副会長として引き続きずっと足立支店が無くなるまでお力添えを頂いておりました。
菊池 足立支店が無くなって残念です。 地域と密着して、コミユニケーションが深まった方が良いと思いますけど。
岸本 前支店長の藤巻さんには,法人の苦情解決第三者委員としてご協力を頂いております。
今カッパ会のメンバーで奥さん、子供さんと一緒に来て頂いております。 本当に有難うございます。
永倉 そう言った経過で沢山の方々に物心両面の協力をお願いいたしましたが、建設の方は平成5年6月頃に入る予定でしたが、国の事情で段々と遅れてきてやっと8 月に着工できました。 鍬入れ式には、青井あかしあの家から利用者に来てもらいました。 区と相談し地元に潤うようにということで、入札で、地元の金沢建設と 松村組の合同方式となりました。 翌年の9月に開所しましたが、遅れて8月30日頃竣工検査をして、9月6日にようやく開所にこぎつけました。 一方職員をど う採用するかということで、高島さんがだるまの家(文京区)の方は全員退職して再雇用でもう一回試験するのですよということで、父母の会もそうしようかと 言うことでしたが、父母の会の作業所職員の福祉労働組合が出来まして大変なこととなり、何度も説明したが中々分かってもらえなかった。
私などは すぐ怒ってしまうのですが、岸本さんが良くやってくれました。 父母の会からは鈴島さんが同席してくれましてご苦労さんでした。 結果的には、異動と言う形で 行い、新規採用は藤田さん・落合さんの2人でした。 今度は通所バスをどうするか、自前でバスを持たなくてはならないと、これもまた大変でした。 共同募金会 にお願いし、お金のことは岸本さんがいろんなところへ行き、「所長、お金を頂きに行きますよ。 」と言われよく同行しました。 本当に良くご存知でした。 私は ただそばでお願いしていました。
そんなことで、1年間かかって9月に開所にこぎつけましたが、2階の食堂で開所式をしましたら、あふれる程の人 が来て下さいました。 その時に勝又さんが理事として入っておられましたので、地域の方々、足立区、議会、関係機関の方々、東京コロニー、東肢連の人たちが 多く来てくださいました。 問題となったのは、父母の会の願いと高島さんからショートステイを是非やってほしいと言うことがあり、これをどうするかでした。 区には会員同志の預け合いという制度があり、これとどう兼ね合いをしながらやるかとなり、台東区へ見学に行きショートステイで生活寮的なものをやっている と言うので、これをミックスした形でやろうと言うこととなり、登録制で有料で踏み切りました。 あかしあ園の中の試行から3年目の平成9年に足立区から ショートステイが委託され、法人独自の生活訓練の有料とのミックスで始まりました。 支援費になれば当たり前ですが、当時としては大変でした。
第 二期検討委員会で療護施設を作ろうと言ったところ、皿沼の特養さんに小規模が付いて出来ることになったため、この計画がオジャンになってしまいました。 本 当は、(仮)第二あかしあ園を作るのに併せて療護の話を進めていましたが、残念でした。 あともう一つは、今大谷田に移っているソフトウエアの問題でした。 ソフトウエアを足立あかしあ園の第二授産に引き継ぐと同時に分場にしようと言うことで、区障がい福祉課の渋谷係長さんが区の施設を色々と見て歩いて、元実習 所の給食室を入れると分場になると言うことでした。 ソフトウエアの利用者の身分をどうするか、処遇をどうするか、今まで貯めた金をどうするか、ソフトウエ アの利用者は、自分達は働いてきていると言う意識があり、どう認めてあげるかと言うことがありました。 あとは、自立生活を考える運動をしていたが、その期 待通りに答えきれなかったのが残念でした。
岸本 法人設立10周年 座談会6 資金のお話も出ましたけれど、小谷さんからは社会福祉協議会に橋渡しをして頂いたり、資金を馬主協会からも頂きました。 また、建設支援のテレホンカードを作り、後援会の会員を募りましたが、このカードもNTTさんにお世話になり8000枚作成しました。
永倉 売れましたね。 会員も良くやってくれましたが。 誰のデザインでしたか。
岸本 今足立あかしあ園にいる松本さんが描いたもので、車椅子に乗っている明るい絵を提供してくれました。 あの当時、足立区ボランテア連合会の会長さんをされて いた千葉さんが、精力的に協力して下さり何千枚も買ってくれました。 また、西新井大師でのバザーの売上金の1年間の合計をくださり本当に有難かったです。 駅前に立って街頭募金もしましたが、鈴島さんも資金作りに若い会員の方々に「協力すると言うことは、お金集めですよ。 」と言われたことが、今でも語り草と なっております。 お金をどうやって集めるかが一番頭にあって、毎年の父母の会のバザーで積み立てたお金は、多分500万円位しかなかったので、とにかくお 願いしまくりました。 本当に今考えますと、お金もないのに良く決断したなと思います。
永倉 社会福祉法が改正され現在は、各地に小規模の法人があちこちに出来ていますが、法人作りにこんなに肩入れをしてくれる区はありません。 当時、開設資金として小谷課長さん、渋谷係長さんが積算してくれ、お金を出してくれました。
小谷 これまで民間の法人設立を支援する区の助成規程はありませんでした。 足立区は他区と比べ、障害者数が極端に多く、特に卒後対策は先を見通して対策を講じ なければ、強い需要に追いつかないといった思いと、足立独自の重度障害者に対する利用期限導入を、区の障害者施策に組織的に位置付けることの必要を関 係者は考えていました。 当時の森福祉部長の政策センス、決断もすごく、いろいろご指導を頂き、区の法人助成制度は父母の会の助成で、先鞭をつけ、高齢等に 及んだと記憶しています。
岸本 平成6年2月28日に社会福祉法人の認可を受けましたが、その年の5月の父母の会の総会で鈴島さんと会長を交代しました。 そして、父母の会が平成2年から 試行を行っていたショートステイ事業を法人施設の中で、父母の会がお金を出して、施設提供と運営は法人がやる形でスタートしました。 男性介助者が少なく、 永倉園長には宿泊の職員に支障ができて泊まる回数が多くなり大変ご苦労をかけました。 平成9年から足立区の委託を受け、平成11年4月から綾瀬あかしあ園 に移行して渡邊園長にご苦労願っています。 父母の会会員が期待していたこととか、不安に思っていたことなどその辺のところを、鈴島さんどの様に思われてい ましたか。
鈴島 多くの課題がありましたけど、法人化して限られた人しか入れないことについては、割合会員は割り切っていたと思います。 先輩が入るのが妥当であろうとの感じを受けていました。
そんな中で、皆が期待していたショートステイ事業が出来ました。 永倉園長は父母の気持ちをしっかり理解して頂いて、今使われていませんが足立あかしあ園の 3階の狭い所でスタートしました。 父母の会で運営していた頃の初代のコーディネーターが、現在熊谷の支援センターの職員で活躍していますが、今度ケアマネ イジャーの試験を受けるので在籍証明書を下さいと連絡が来て、今は越谷に異動となり埼玉県8市町村の委託を受けて社会福祉法人が支援センターの役割を担う ところの職員になりました。
その方から一番初めに青井あかしあの家に入り、父母が運営する施設に入ってよかった。 色んな仕事をしているが、私が目指すところの原点であると言ってくれ、嬉しく思いました。
仕事をする中で、お母さん達が日頃どういう思いをしているのか、本人達の希望は勿論ですがその辺の現場を知らないと助言が出来ないと思うが、役に立ってい ると言われました。 良くやってくれましたが、今だったら絶対やってくれとはお願いできないし、本人も今だったらやれないが、若い時だったので何も考えず皆 の願いを受けやったけれど、今考えても何も条件がそろってなかったので精一杯やったと言っていました。
今、綾瀬あかしあ園の渡邊園長が苦労していますが、この様な過程で皆が利用できるショートステイにつながったと思います。 その当時は、永倉園長が同性介助で、男手のない時は介助をして頂いた。 そのような事で今があると思います。
吉本 親の希望を一番大事にしてくれた方であったなと感謝しています。
永倉 当時、肢体不自由者を対象としたショートステイの事例が少ないから、どうしても新しく手探りで作るしかありませんでした。 支援する介助人をどう確保する か、正規職員と介助者は登録制にしなければ、職員が専任だと労働過重になる。 それを避けるのにはどうするか、職員がやった時は代休をとるのでマイナスにな る、それをどうするかとか、そう言うシステム作りが大変でした。 先程高島さんとも話していたのだが、やはり歩き出さないと分からない部分が見えてこない、 歩きだして良かった。 鈴島さんも言ってくれたのですが、システムが無いからとか、何が無いからではなくて、あの当時はお母さん方が言ってくれたことを、どう実現するかの苦労でした。 渡邉(美)さんはドンドン新しい企画を出してくださるので、どうやって実現していこうかと頭を悩ました。
第二授産部 の利用者が自立して生活するアパートを借りるのに、収入証明書がないがどうするかと職員から相談があり、うちの社員と言う形で証明し大家さんから借りるこ とが出来たこともあった。 このように可能な限り色んな事をやらせて頂いたので、職員から随分怒られたこともありました。 今は、この様なことは通所施設では 当たり前だが、当時としては日中活動だけやれば良いのにどうして所長は色んなことをやるのだと言われました。
施設祭りはあるが地域と施設が連帯 した祭りはないので、私はただ施設だけの祭りではなくて、地域との祭りをしようとして町会に呼びかけ実行委員会を作りました。 分かってもらえるまで時間が かかりました。 今は地域懇談会に40人も来られるようになったと聞き嬉しく思います。
中里 法人設立10周年 座談会7 それには横内君の努力があるのですよ。 若いけどね、若くはないか、本当に僕らの中に入ってきて、また学校にも入ってきた積み重ねだろうね。 永倉さんが居た 頃から連合会の新年会、懇親会に出て頂いた。 最初は中々抵抗があったが、来て頂くようになり当たり前だと思うようになった。 そしたら大きな顔をしてきた ね。 (一同爆笑)
永倉 今話されたように、初めは加平小からも青井中からも入学式・卒業式の案内が来なかった。 教育関係なので知っていたので、私から押しかけていった覚えがある。 地域の新年会に入るのには中里さんにどうしたら良いかと相談したが、まてまてと言われやっと仲間に入れてもらった。
中里さんが苦労して根回しをしてくれたと思う。 本当の意味で地域の力は大きかったと思う。
中里 うちの兵和通り商店街で車椅子に乗せてもらい、マップ作りに協力したことがある。
横内 足立区社会福祉協議会のふれあい福祉マップ事業に、足立あかしあ園と綾瀬あかしあ園の施設が一緒になって作ると言うことで、一番目に兵和通り商店街を対象 にし、それを皮切りに既に8箇所実施しました。 3年続いていますが前回は梅島駅前を2回に分けて4班で中学生も参加して行った。 最初は学校の参加は少な かったのですが、今は嬉しいことに近隣の小中学校の参加を断る程です。 中里さんが開かれた学校づくり協議会の役員をやっておられますが、今、学校等が荒れ ているところで何とかしなければと、街をあげて改革をすることとなりました。
中里 選択性になり中学の入学生が今まで120~130名いたのが、今年はだいぶ少なくなった。
横内 この間、中学校の校門で朝の挨拶を、町会の人も参加して1週間行われました。 町の人々と生徒との交流を深めるためと伺ったが、今の子供は親とのふれあいが 短くて孤立しているためなのか、自分のことしか考えていない、挨拶も出来ないといった状況でした。 「おはよう。 」と声をかけても最初はもじもじしていた が、最後は「おはようございます。 」と堂々と返事が返って来ました。
やはり近所の人が見守って行かないと成長して行かないのではと思います。 核 家族で、お父さんもお母さんも夜遅くでないと帰ってこない、コンビニで自分のご飯を買って食べる生活をしているので話も出来ない。 我々も今まで地域で担っ て頂いた分を、お返しすることが必要かなと思います。
先程菊池さんより環境という話がありましたが、福祉は教育と環境問題を含めてやらなければならないと思う。 足立の中では、リサイクルをこのような障害者施設36団体で皆で工夫しながら一緒にやっていこうとしています。
菊池 小中学校に生ゴミ処理設備を入れまして、出来た肥料は学校の校庭で利用してもらっていますが、環境教育というと大げさですが、そのような事もやっています。
中里 Aふらんきはどうなの。
横内 お蔭様で環境問題をかなり手広くやっています。 足立区内の放置された自転車を掃除して、リサイクル自転車として自転車店に納めるのが、毎月300~400 台にもなります。 区の出張所等にも年300台も納め、それらが各学校に5~6台配られています。 1台20分くらいで洗えます。 自動車の洗車ですと1時間近 くかかりますので利益率が大変良いとおもいます。 現在、この事業を8施設で行っています。 その他学校の給食用油を集めて液体石鹸に換えて学校に戻していま す。 今小中学校の117校で石鹸を使ってもらっている。 この様な事は足立区だけと思いますが、ネットワークを組んでやっています。
中里 永倉さんがやっていた事を、全部引き継ぎやってくれているのだよ。
永倉 嬉しく思います。 Aふらんきの前身は、保健所のNさんが各施設の授産連絡会を横内さんを呼んで勉強会を1回やった。 それで各施設の良いところを持ち寄って交換しようと言うことになり、丁度横内さんが来て、立ち上げが出来たと思う。
この事もあるが、経営的に大変だったのは施設の中を充実させるのにお金が必要なので、立ち上げのとき保護者会に多大なご協力を頂いた。 その初代の会長さんが吉本さんで、後藤さんと組みながら苦労されたことと思う。
岸本 吉本さんが青井の地域に住んでいて父母の会の副会長をなされていて、検討委員会から引き続いてきまして初代の足立あかしあ園の保護者会長になられましたけど、今もそうですが保護者の先頭に立って色々苦労されたことと思いますので、その辺のことをお話ください。
吉本 皆さんが思っているより身体が弱いものですので、準備委員になりましたが血圧が高くなり霜田さんに替わって頂きました。 最初の1~2年、後藤さん滝沢さん とで父母の会の役員をやっていた関係で保護者会を作ってやってきました。 色んな所から集まったお母さん方で利用者も高齢の人が多かったので、すごく纏める のが大変でした。 また、お互いに知らない中で、若い方であったので保護者会長を引き受けました。
現在、保護者会自体もすごくまとまってきてお り、いい雰囲気でお互いに知り合えて、この10年有難いなと思っております。 3年空けて再び会長となりましたが、最初の頃と比べすごくやり易いです。 お互 いに分かっているからだと思いますが、ただ失うものも多く、今日も利用者のお父さんが亡くなり告別式がありました。
この10年で、お父さんが5名、お母さんが3名、利用者が3名亡くなっています。
この現実はすごくつらいものがあります。 高齢化してお姉様が見ている人が2人います。 早く足立に療護施設が出来ると良いと切実に思っています。
岸本 法人設立10周年 座談会8 話が弾んで予定の時間が残り1分しか無くなりましたが、綾瀬あかしあ園の渡邊園長ですけど、城北養護学校の教員として進路指導をされ、その後梅島あかしあ の家の所長をされました。 青井あかしあの家が常磐新線の関係で立ち退きすることとなり、仮称第二あかしあ園建設と言うことで建設検討委員会に入って頂きま したが、学校時代は下田前理事長との出会いもあったと聞いておりますので、その辺のことと建設委員会のことを含めましてお話頂けますか。
渡邊 私が城北養護学校で進路指導を担当していた時、たしか平成2年か3年だったと思いますが、東京都の各養護学校の進路指導の教員が集まり研修会を開いておりました。
湘南での宿泊研修の際に、下田前理事長も特別講師として参加しておられたのですが、足立区の卒業後の進路状況について報告させて頂きました。
「父母の会の努力により、週3回の通所が実現している。 」と話しましたら、参加者からは「週3回では通所とはいえない。 そんなのは遊びに行っているだけで 通所ではない。 」と言われ大きなショックを受けました。 又、当時、高等部で担任した生徒がお世話になっていましたが、卒業後の変化が大きく、障害がより重 くなっていることを感じておりました。
そんな思いを持っていたところ、梅島あかしあの家の施設長にとお話を頂き、その経過で現在の綾瀬あかしあ園の建設に関わらせて頂きました。
先行している足立あかしあ園の活動の様子を参考にさせて頂き、特に地域との関わりは重要と考え、大川事務長共々、地域会長さん宅へご挨拶に伺わせて頂きました。 インターホンでのお話から始まり、玄関へ、そして園行事への参加と積み上げが徐々に出来てきました。
身体障害者短期入所事業が、区の委託から都の指定事業者になるための手続きの際にも、通所施設での短期入所事業は認められない状況がありましたが、「あい のわ福祉会さんは実績があるから大丈夫です。 」と許可を受けることができました。 通所施設での短期入所事業の運営は特に厳しく、平成9年のスタートから大 きな苦労を背負って続けてきた成果が、信用という形になり今回の都の許可を受ける上で大きな力となりました。
皆さんが苦労を重ね努力した結果が、地域との信頼関係や行政との信頼関係を育ててきてくれました。 こうした力が次の療養施設等の事業展開をしてゆく時に、大きな力になると思います。
岸本 父母の会が通所施設を運営しているなかで、週3日しかやっていなかったことでは、あかしあの家に入所が決まっているのに、城北養護学校の進路ニュースにあ かしあの家と名前を書いてもらえなかった事が、凄く皆の活動のバネになりました。 自費で試行をして、平成3年4月から週5日になりやっと肩を並べられたな と言う感じがしました。 父母の会が昭和63年から東京コロニーに技術指導の委託をしプログラマー養成事業を行っていたので、今の大谷田就労支援センターと 分場に繋がっていますけれど、その関係でご縁のありました第二代目の横内園長ですが、施設のまつりとか地域懇談会など最初から見ますと輪が広がってきて嬉 しく思います。
平成11年から園長になられまして、この間の思いはいかがでしょうか。
横内 私も足立に来て今年で5年になりますけど、東京都に行きますと一言、福祉は足立に行き見て来いと言われるくらい、都の中で何処でも言われております。  
恐らく小谷さんが活躍されたりして、皆さんが足立の福祉をより良いものとして来たからと思います。 私も色々と福祉の仕事をしてきましたが、福祉の集まりの中では足立区は参加する施設がいませんでした。
ところが今では精神障害の施設も東京都社会福祉協議会の会員となっていますし、逆に足立区が多く入るようになっております。
今年からサービス評価が福祉に限らず老人施設、学校も含めて始まる世の中に変わってきました。 嬉しいことに東京都から話がありまして私たちの法人が一つの 先駆的なモデルとして第三者評価に取り組んで下さいということで、既に3年間やっておりまして、我々が作ったものが区の中で実施され、それを改修したもの が東京都の第三者サービス評価基準としてしっかり根付いています。 これも恐らく小谷課長さんを含め、足立が東京都と協力して出来たことが評価されていま す。 現在、開かれた地域福祉に変わって来たことが有難く思います。
現在、法人は8施設で10事業を行い職員も100名を超える大世帯になった。 大きい事が良いとは思わないが、まだまだやることが沢山あると思う。 先程話がでておりましたが、親亡き後どうするか、身体が不自由になって動かなくなりバ スに乗せることも出来ない家族が増えてきております。 保護者会長からの話にもありましたが、お父さんが亡くなりお母さんが亡くなり、本人も年をとった利用 者が多くなって来ています。 我々がまだまだやらなくてはならない事が沢山あります。 何処まで出来るかわかりませんが、自分も色々と頑張って行きたいと思い ます。
岸本 お話が弾んで予定の時間を15分も超過していますが、法人として果たさなくてはならないことは沢山ありますが、外部の人からは法人にこれから期待することについて、当事者からは今後考えたいこと事業の展開について一言お話を頂ければと思います。
最初に、永倉さんからお願いいたします。
永倉 今、法人は4施設がありますが、都は23区内に入所施設をと言うことを打ち出している。 本来は、入所施設ではなくグループホームですが、グループホームで は不十分な面もあるのですが。 親御さんがあかしあ園を作る時のように療護施設を一つ立ち上げて、あとは区内の実態を考えるとグループホームをいくつか作っ てあげないと、先程保護者会長が話されたように親御さんが8名も亡くなったことを考えると、早急に取り組む仕事ではないでしょうか。
高島 法人を立ち上げて、あの当時を考えると本当に良かったと思う。 横内園長が言われたように、東肢連へ出て行っても非常に遅れていた。 これが今や足立区が上位に位置している。
足立区に追随してくる区が少ない。 これからは親の気持ちになって見ると、区内に療護施設を早く作ってほしい。 もう一つは父母の会が事業運営しているあかし あの家は、法人が出来ることによって委託運営されて行くと常々思っていた。 もう僕たちが事業運営するのではなくプロ集団に任せることが急務であると思いま す。
菊池 法人設立10周年 座談会9 皆さんのご苦労はすばらしいものであると思います。 行政主体の活動ではなく自ら法人を設立されました。 障害者のために自立してやられることは素晴らしい パワーでびっくりしました。 これから足立区と先進的にやっていかれる皆さんを縁の下で支えていくことが出来ないかと思います。 是非全国的に輪を広げて行っ てほしいと思います。
中里 横内さん渡邊さんが一生懸命良くやっている内容を十分知らないが、地域は障害者だけではない、子供の学校のこともある老人会のこともある、これらのことを含めて皆でやっていかなければならない。 地域の一員としてあかしあ園も皆んなお互いに力を手を出し合ってほしい。
小谷 机上の計画を考えるだけでなく、具体的に当事者、障害者、その親、「我が子」が必要とすることを計画し、実現、具体化を諦めないでやっていって欲しいと 思います。 今後もいろいろな種類の施設が必要との話しがありましたが、今までの歴史を踏まえ、自信を持って次ぎの目標に向っていって欲しいです。
鈴島 今、小谷さんが言われたことが全てであると思います。
歴史的に考えて中々現状と法律が10年、20年を過ぎても、縮まらない中で必要なことを献身的に、と言うと立派過ぎますが一歩一歩勇気を持ってやっていく ことが一番大切かと思います。 ちょっとくたびれて来ていますが、皆さんと共にご指導を頂きながらやって行きたいと思います。
吉本 足立あかしあ園も高齢化して療護施設が必要だということもありますが、親が健康であることが、最高の福祉であるとつくづく思います。 頑張れ頑張れというの はやめて、お母さん達が精神的にも肉体的にも健康であるためのお手伝いを保護者会がしたいと思い、ストレッチ体操を始めています。 この様なこととかレクリ エーションをしたり、習字も始めました。 今まで頑張って来ましたが、今度はリラックスしてお母さんが健康で居てくれたら良いなと思いその方向も目指してい ます。
渡邊 私が原点にしたいと思うのは、利用者と向かい合った時、お互いに心が通じ合う喜びを持続したいと言うことです。 社会制度はまだまだ不十分ですが、人の心は十分に可能です。 利用者、保護者の方々と分かり合いながら進みたいと思います。
皆さんのアドバイスを頂きながら、一つ一つ実現を図りたいと思います。
横内 私は今、足立区長さんがお話しされています足立を安心と安らぎのある区にしたいと言うことを、実は私も考えております。 中里さんがお話されたように、子供 であっても高齢者であっても障害者であっても、やはり足立区に住んで良かった。 ここなら安心して住めるよねと言うものを、施設を介して或いは施設だけに 限らず我々職員を含めて出来ることを、地域の人たちと一緒にやって行くことが必要ではないか。 施設だけでなく地域の方々との共働による共生が大切であると 思います。
岸本 有難うございます。 まだまだ話足りないこともあると思いますが、この辺で法人設立十周年記念座談会を終わらせて頂きたいと思います。 本日はお忙しい中ご出席下さり、法人立ち上げの包み隠しのない、忌憚のないお話から、現在に至るまでの貴重なお話を頂き有難うございました。 社会福祉法人あいのわ福祉会は、障害者とその家族の願いの実現に向けて多くの人達と共に汗を流したことが土台となって、これから先も足立区の中で、安心して心豊かな生活が出来るよう願って着実な歩みをしたいと思います。 今後とも、暖かい御支援をお願い申し上げます。

 

記録 足立区肢体自由児者父母の会顧問  渡邊 美千子
あいのわ福祉会 法人本部事務長    大川 博司


法人設立準備委員会 故初代下田委員長を囲んで
法人設立準備委員会 故初代下田委員長を囲んで

(後列)半村英夫 千葉寿美子 永倉春男 茂出木慶三 高島節郎 吉本惠美子 木下勝 後藤陽子

(前列)  小谷節子  下田巧  岸本美惠子

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